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【災害体験談】物の備えと共に『心の備え』をしてください

2011年3月11日の東日本大震災を経験した20代の志保さん。帰宅困難者になりながらも、震災前に『あること』を家族で決めていたことで、連絡が取れない中、数日かかって家族全員と対面できたといいます。震災時、物の備えのほかに『必ず備えておくべきこと』を教えていただきました。ぜひ参考にしていただきたいお話です。

当時、私は就職活動中で、市街地にあるビルの中で行われていた企業説明会に参加していました。人事の方による説明が進行する中、建物が揺れ始め地震が来たことに気付きました。遠くから少しずつ、地面を押し上げるような尋常ではない轟音が近づいてきた記憶があります。「これは相当大きいのが来る」と予想した瞬間、それまでに体験したことのない揺れに襲われました。

何人かの女性がパニックを起こし悲鳴をあげており、その場においては最も大人の立場であろう人事担当の男性もすぐには指示が出せずうろたえていた程でした。学生達は咄嗟に自主的に机の下に潜ったと思います。揺れがおさまった後は階段を降りてビルの外に出ましたが、この地のメインステーションである駅前の広場に、隙間がないほど人間が密集している異様な雰囲気にぞっとしました

当然ながら説明会は中止でその場で解散となりましたが、交通機関は全滅しており、私は帰宅困難者。自宅まで徒歩三時間以上かけて帰宅しました。帰路では突然雪が降ってきたことを覚えています。不思議と寒さは感じませんでした。緊張感による高揚があったからかもしれません。

それよりも恐怖だったのは、信号機が崩れ、いたるところで電線が地面に落ちていたことです。今思えば電気も通っていなかったでしょうが、電線に脚を引っかけたり、触れでもしたら…という不安に駆られながら恐る恐る歩いた道のりでした。

自宅に帰ると、屋根の瓦が吹き飛んでおり、茶の間は嵐でも通り過ぎたかのように全ての物が散乱していました。私の家は『半壊』扱いだったのでまだ原型を留めていたほうではありますが、目の当たりにするとショックな光景でした。家の中には誰も居ませんでしたが、向かうべき場所に迷いはありませんでした。

私の母校でもある近所の小学校が避難時の場所であるということ、家族を含め近隣住民は皆そこへ向かうことを知っていたからです。この「いざという時に向かう場所、その場所へのルートが100パーセント分かっている」ことは、当たり前でありながら最重要事項でもあると思います。家族と離れて暮らしている方は、自分の避難場所以外に家族の避難場所も把握している必要があります。いわば「約束の場所」です。

物の備えはいくらでも必要だと思いますが、いざという時にそれを持ち出せるかどうか、使用可能な状態をとどめているかどうかは分かりません。個人的には常日頃から鞄に必ず入れている除菌ウエットティッシュには助けられましたが…。

まずは家族や友人知人、もしくは他人でもいいので繋がることです。人が集まれば何とかなります。もちろん、集まった人が思いやりを持ち合わせることも必須ではあります。

避難所には災害時を想定した備蓄品もありましたし、近所のアミューズメントパークから運んできて頂いたポップコーンなどを食べて空腹をしのぎました。感謝の気持ちで満たされましたし、電気が付かず暗い室内で顔の見えない誰かと喋っているだけでも気分が落ち着いたものです。そして、何日かかかりましたが家族全員が対面出来たときは安堵しました。

辿り着くまでにどれだけの時間がかかろうと、「最後はここで」と待ち合わせする絶対の約束の場所を決めてください。もちろん地域指定の避難場所があればそこが最適ですが、そうでなくとも必ず決めてください。そのことが心の備えになるはずです。【備え忘れ】の再確認はこちらから >>


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北海道住みで大地震経験者の主婦レイラです。2018年の北海道胆振東部地震も経験…続きはコチラ

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